100種類以上の野菜を作る 家庭菜園

出来るだけ固定種の野菜を作り、自家採種しています。

人は、生きていればいいというわけでは無い

妻の絵手紙
『今年もどうぞ宜しくお願いいたします。』
            
                                           彩玉ボード拓本

                      

                                           鳳凰文(半瓦当)




78歳になる爺さんが、秘密基地にやって来た。
昨日退院したそうだ。

                             
彼は数年前から透析を受けている。
もう半年以上も、入院治療をしていた。

ところが、主治医の先生と大ゲンカをして、ようやく別の病院に転院することが出来たようだった。

1ヶ月ほど前に、外出許可で家に帰ってきた時に、主治医の先生と上手く行っていないことはわかっていた。
一番の原因は、彼の飲酒であった。
透析をしているのに、酒が止められなかった。
先生に何度注意されても、深酒してしまう。
ほぼアルコール中毒患者のようになっていた。
主治医の先生が彼を叱咤するのは、理解できた。
しかしながら、その先生のやり方がどうも威圧的で、患者主体になっていない感じを受けた。
40代前半の医者で、他の患者さんの評判も良くなかった。
そればかりか、彼の通っている病院も昔から評判が最悪であった。
結局のところ病院経営に失敗して、身売りしたことのある病院であった。


彼が透析を受けるようになった時には、奥さんは元気だった。
彼の作る野菜を、親類や知り合いに配ったりして、みんなから喜ばれていた。
彼も、シルバー人材で植木の剪定の仕事のリーダーをしており、5,6人の年寄りを使っていた。元電気屋さんで何でもできる人であった。
私の秘密基地の深井戸のポンプを取り替えた時も、彼がやってくれたおかげで相場の半分ぐらいの予算で出来て、とても感謝したことがあった。


彼が透析を受けるようになって、半年が過ぎた頃、奥さんの様子がおかしくなった。
腹に水が溜まってしまって、腹が膨れてしまうと言っていた。
後でわかったことだが、悪性の癌であり、しかも末期症状であった。
1年も経たないで、奥さんは亡くなってしまった。


それからしばらくして、彼の酒の量が少しずつ増えて行った。
奥さんがいたからこそ、彼の作る野菜は価値を持っていた。
段々と野菜を作っても失敗が多くなっていった。


近くに娘さん夫婦が住んでいた。
娘さんも主治医から父親の飲酒を報告され、心配していたようだ。
彼は、時どき実家に訪ねてくる娘さんに見つからないように、彼の畑の隣の杉林の中に置いてあるドラム缶に、酒の空き箱を持って来てこっそりと燃やしていた。


主治医が飲酒の量が増えているのを見逃すはずは無かった。
その頃から、彼に対しての指導が厳しくなっていったようだ。
彼にしてみれば、生きる喜びも将来への希望も無くなって行っていた。
その根本の彼の悩みや苦しみを理解しないで、飲酒の危険性だけを説いたとしても、彼にとっては何の助言にもならなかった。


オー・ヘンリーの「最後の一葉」の話でもあるように、医者は病気は治せても生きる力を持たせることは出来ない。

それを、傲慢な医者は、権威や脅しで患者に云うことを聞かせようとする。
どんな患者でも、進んで死んでしまいたいとは思わないだろう。
しかしながら、患者の心の中の悲しさや寂しさを理解しないで、一方的に入院させたり、外出許可を出さなかったりすることは、患者に不信感を持たせことになるだろう。


彼が私に語っていたのは、
『自分が入院することで、病院は喜ぶはずだし、長く生き続けさせることは自分たちの儲けのためだろう。俺は死んだって構わない。だけど、あの生意気な医者をぶん殴ってやりたいといつも思っている。』と。


それを聞いていた私は、転院を強く勧めていた。
今どき、患者を一方的に責めたり、上から目線で物事を言う医者は、人間として最低のレベルだ。患者には病院や医者を選ぶ権利がある。酒を飲むのは身体に悪いことだが、飲んでしまう苦しさをわかってくれない医者では、お互いがこの先悲しい結果を産むことになる。今すぐ、転院をするべきだと。


ようやく1ヶ月を掛けて、めでたく転院が出来たようだ。


ネギが欲しいというので、必要なだけ持って行けばいいと、ネギだけでなくブロッコリーも人参もキャベツも持って行ってもらった。
彼の家は、畑から50mの所にある。しかも、私の一番大きな100坪の畑は、彼が作っていた畑だ。



彼が元気な時に作っていた100坪の畑である。
現在は私が借りて作っている。