100種類以上の野菜を作る 家庭菜園

出来るだけ固定種の野菜を作り、自家採種しています。

人は、望んだとおりの人生を歩むものだ。

終電まで働いても生活苦…40代で貧困に陥る人の現実
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『大野忠明さん(仮名・46歳)は、現在、NPO法人のパートスタッフとして働いている。元々、ボランティアとして参加していたが、有給スタッフとして誘われたという。時給は1000円、月収20万円前後で年収は260万円だ。

 「連日、昼前から終電まで働いていて、今が人生で最も働いているくらいです。収入が増えるのはありがたいですが、これでは就職活動もできません。就労条件などは詰めていなかったのですが、たまたま忙しい時期が来てしまったうえに、人員も足りないので、とにかくフル回転しています」

  時間にも精神的にも余裕がなく、家の管理も放置状態だという。1Kのキッチンには壊れた冷蔵庫のほか、壊れたテレビや壊れたビデオデッキなども積み上がっていた。

 「捨てたいのですが、手続きや料金が必要ですし、新しい冷蔵庫を買う余裕もありません。放置したまま2年もたってしまいました」

  おかげで自炊することもできず、もっぱら牛丼屋やラーメン屋をヘビーローテーション。

 「お金もかかるうえに、食生活が乱れて体調もよくない気が……」

  そもそも、生活が苦しくなったのは2006年頃、39歳のときに6年勤めた会社を辞めてからだ。ピーク時には月収40万円も稼いでいたが、2002年に病気で体調を崩し、会社を休みがちになった。

 「上司は『病気に甘えている』などと嫌味をいうので、こちらも言い返していたところ、忙しい部署に異動させられました。ところが、この部署で仕事を与えられなくて、定時帰宅する状態。当然、同僚からも白い目で見られるし、居心地は最悪でした」
  この状況に4年耐えたが、ある日、限界に達する。業務査定の面接で職務の展望を追求され、「あんな仕事しか与えないで、今後の展望も何も無いだろう!」とブチ切れ。「もう辞めるつもりですから!」とタンカを切って退職した。

 「実は当時、知人の会社に誘われていたんです。それを当てにしていたのですが、会社をやめた途端、転職話がご破産に。その会社が買収されてしまい、知人に人事権がなくなってしまったんです」

  不運といえば不運。しかし、大野さんは「今思えば、確約をとっておかなかったことは、ツメが甘かったと思います」と悔やむ。

  また、生活費に困るようになり、知人数名に借金も。その額、合計190万円に。お人柄のおかげか、無利子で貸してくれたのは幸いだ。

 「長いこと借りたままになってしまっているのがつらくて。借金返済に毎月5万円を回しているので、生活はカツカツです」

  せめて貯金をしてあれば状況も違ったのかもしれないが、貯蓄はなかった。というのも、30歳手前で一念発起、調理師を目指して上京し、その学費が必要だったため。学費が高額で有名な超大手専門学校に300万円かかった。「儲かるから」と、とうもろこしの先物取引を持ちかけられ、騙されて250万円損したのも痛かった。

 「でも、自分は人に助けられている。最終的には、人間を信用できないとね」とほほ笑んだ。』
 



ここに登場する大野忠明さん(仮名・46歳)には、人生をどう生きるかの哲学がない。
39歳の時に体をこわしたときから、人生が狂ったのではない。
はじめから人生哲学がないから、当然の理として、崩れていったのである。
 
物心ついたときから、将来の生き方は考えているものだ。
それは親や他人に教わることではない。
自分がどのように生きたら満足が得られるか、幸せ感をもてるか。
それは、小学生でも芽生えているはずだ。
  
そして、人間は、自分が望むとおりの人生を歩む事ができるものだ。
彼の生き方は、彼が望んだ生き方であると思う。
彼は、年収260万の現在の生活を口では、「こんなはずではなかった」と言っているが、彼の心は、満足しているはずだ。
 
月収40万円を稼いでいたときこそ、彼が間違って評価されていたのである。
それが病気をしたことから、会社の人事部が、彼を見抜き、リストラしたわけである。その時すでに、彼という人間は、会社にとって居てもらっては困る社員だったわけだ。
 
彼が一度でも心の底から「こんな生活は嫌だ」と思えば、その時から変えることができたはずだ。
 
しかし、彼は、あれこれ言い訳を並べて、自分をだましている。その時点で、彼はすっかり自分を受け入れてしまっている。
  
何の問題もない。
彼が望むとおりの人生を歩んでいるのである。
 
私の勤めている会社に今年36歳の独身男が居る。
実家から車で5分の場所にある物流倉庫会社で、作業員のパートタイマーとして働いている。
 
時給は、900円である。年収は、約180万円である。この中から社会保険や所得税が引かれるので、手取りは年収150万円と言うところか。
 
両親と3人兄弟の5人家族である。彼は長男で、正社員の弟と1昨年結婚した妹がいる。父親は、市役所の現業職を定年退職し、現在64歳で週に3日の契約社員をしている。彼の家は、兼業農家で畑と田んぼが少しある。ハウスでは、巨峰が生っていた。
 
彼は、現在の人生に大満足している。
親も、彼の話からは満足しているようである。
 
彼は、家には気持ちだけの食いぶちを入れている。40万円の中古のワゴンRの月賦が数万円。貯金は1万円ぐらいだろう。
 
彼の趣味は、日曜日に中山競馬場に行って、競馬をやることと、時々電車に乗って、適当な駅で降りて、ぶらり旅を楽しむことである。
 
競馬で使う金は、1日3000円から1万円である。
月に7万円ぐらいは小遣いとして使ってしまう。
月給の手取りが13万円ぐらいだから、ほとんど小遣いで使い果たす。
 
会社は65歳まで働けるので、彼はあと29年勤めることができる。
結婚の希望はあるようだが、具体的な努力はしていない。
 
女は好きなようなので、2ヶ月に一度ぐらいは栄町の歓楽街で、デフレで安くなった風俗嬢と遊ぶ。
 
彼に何を言っても、否定はしないが、聞き流している。
 
「まだ若いんだから、もっと挑戦して、結婚できるように正社員にならないとダメだ!」
「仕事も、どうやったら効率よく楽にできるかを考える事が大事だ!」
「言われたことだけをやるのではなく、自分から進んで、仕事を求め、覚えることだ。」
「目上の人に対する言葉遣いを覚えて、社会人として成長しないとダメだ。」
 
それらは、働くことが一番大事だと思って、40年以上も会社人間として、こき使われてきた団塊世代の悲しい年配者の哲学だ。
 
彼は、きっと腹の中では、笑っているに違いない。
  
36歳の独身貴族のフルパートタイマーの彼の人生は、親の財産をしっかりと当てにして、時間になると1分たりともサービス残業をせずに、社員から「お疲れ様」と声をかけられ、途中のコンビニで親父と飲む焼酎を買って帰る。
 
休みの日は何をやって遊ぶかだけを考えて、日々の単純な作業員としての労働をこなす。
彼こそ、36歳にして、人生の楽しみ方を達観した理想的な未来人間である。
 
私は、彼に65歳後の年金額を計算して教えてあげた。
 
「〇〇君、今のペースで年金を払い続ければ、65歳からは全部で12万円ぐらいは支給されるよ。今の給与と何ら変わりない。両親を大事にして、弟や妹には親切にして、遺産相続は放棄して貰えば、何の心配もない。
 
現代の会社は、君のように時給900円でも喜んで働いてくれる、安い人材を求めている。30年でも40年でも、君をリストラしたりしない。この先ずっと安泰だ。
 
同じ会社の正社員のように、安月給で家のローンや子供の教育費ために、月の小遣いが1万円の者もいる。
1日にタバコ1箱も吸えず、パートの彼から恵んでもらったりしている。

ブラックに近い会社の正社員として、有休消化も出来ず朝から晩まで働き、残業代で何とか暮らしている。


彼らに比べたら、君はなんて幸せな人生を歩んでいるのだろう。」と。







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